その①
ここは、シンプルにステラヴェローチェの複勝でいいじゃないか。
出馬表を眺めた後、亮平はパチリと指を鳴らした。これっぽっちの迷いもなく、自信しかない。さすが、俺。なぜか1人で悦に入ると、自然に頬が緩んできた。
でも、緩むのも無理はない。だって、俺は競馬の才能があるのだから。
事の発端は、昨年の有馬記念である。ちょうど最近、スマホで競馬のゲームを始めていたこともあり、興味本位で馬券を買ったところ、それが的中したのである。
10番のエフフォーリアという馬の複勝に賭けた1,000円が1,100円になって戻って来た。たった100円だが、人生初の不労所得。こそばゆいが、悪い気はしなかった。
せっかくならばと思い、次々の日、ホープフルステークスという聞きなれないレースも買ってみた。一応、GⅠであったらしい。すると、驚いたことにコレも当たった。
買ったのはキラーアビリティという馬だ。また複勝だったが、1,000円が1,400円に増えたのだ。大げさだが、1回目よりも深い幸福感に身が包まれるのを感じた。
年明け、人生で初めてスポーツ新聞を買い、年明け最初の中山金杯にこれまで勝った分に色をつけて3,000円を思い切ってつぎ込んだ。そして、買った馬がまたまた来た。
買ったのはヒートオンビートという馬だったが、その複勝3,000円が4,200円へ変わった。破竹の勢いで3連勝である。
その翌週、思えば先週のことになるが、フェアリーステークスで賭けたスターズオンアースなる馬がまた複勝圏内に飛び込み、もう競馬は止めるつもりで投じた5,000円は8,500円へと化けたのだ。
正直言って、震えた。4連勝とは。2度あることは3度あるとは言うが、3度あることは4度あるとは言わない。それはまぐれは4回も続かないという古の知恵である。つまり、これはもうビギナーズラックというには出来過ぎているということだ。
亮平は気が付いた。自分には競馬の才能があるのだ。23年間人生を生きてきて、こんなところに自分の才能を見つけるとは思いもよらなかった。
小学校で入ったサッカークラブは脚が遅いから辞め、中学の時は不器用だからバスケ部をバックれ、高校ではボードゲーム部で青春の時間を潰し、大学からは毎年のように失恋し、新卒で入った会社はコロナでいきなりボーナスカットと、ここまでイケていない人生を過ごしてきた。が、それもこれも、この才能に気が付かなかっただけなのだ。
この気付きは、とても幸せなものだった。
今週は週末に競馬が当たると思うと、仕事が苦ではなかった。なんだか人生が楽しくなった。
在宅勤務で1人で寂しく弁当を食べていても、フンフンと自然と鼻歌が出るほどだ。
その②
おっと、そろそろ時間がない。
亮平は我に返った。今週買うレース、日経新春杯の出走までもう10分を切っていた。
スマホをタップし、投票画面を呼び出す。だんたんと慣れてきた手付きで日経新春杯を選んだ。今日も買い方は複勝で決まりだ。
「ステラヴェローチェの複勝で、金額は8,500円、と…」
部屋で一人、周りに誰もいないのに、呟きながらタップした。こんな指先の動作で金が増えるのだからたまらない。
その時、ステラヴェローチェの単勝オッズが気になった。赤字の太字で、そのオッズは1.8倍を示している。断然の一番人気というやつだ。
…ちなみに、複勝のオッズはいくらだろう。
そんなことが気になった。思い返せば、いままでオッズを気にしたことはなかった。ここまで、4回で得た金は8,500円。次は10,000円の大台に乗るのはほぼ確実と思っていたが。
調べてみて驚いた。なんと、複勝のオッズは1.1倍だった。
「ええ、なんでよ?」
今度はそんな抗議めいたことをスマホに向かって呟いた。これじゃ当たっても9,350円にしかならない。大台には乗らないということだ。
亮平は胸の中にモヤモヤとした何かが湧き上がってくるのを感じた。最初は1,000円が今では10,000円はキリが良い。でも、9,350円はいかにも、キリが悪い。そんなことを思った。
JRAもあと、650円くらいなんとかしてくれてもいいのに。鼻からため息をつく。
数秒目をつぶって考えたのち、ピンときた。
単勝を買えばいいじゃないか。
ステラヴェローチェの単勝は1.8倍だ。8,500円を賭ければ…亮平はすぐに電卓を弾いた。間違いない。10,000円どころか、15,000円を超えてくる。
すぐにスマホを投票画面を修正し、ステラヴェローチェの単勝を8,500円、購入した。
「馬鹿だなあ、おれ」
亮平は一人、頭を掻いた。これだけの競馬の才能を持っていながら、競馬には単勝があるということにすぐに思いが至らないとは。
でも、胸に広がった暗雲は吹き飛んだ。
時計を見る。ちょうど投票が締めきられたところだった。
あと5分ほどで結果が出るが、何の心配もなかった。今日も的中、間違い無しだ。
なんていっても、俺には競馬の才能があるのだから。
その③
「おい?」
5分後、ステラヴェローチェが最後の直線で抜けだしたところで、亮平は声を上げた。顎についていた肩肘をやめ、立膝をついた。目を凝らした。4番はステラヴェローチェだ。間違いない。
問題は、その外から追走してくる馬がいるのだ。
「ちょっと、それはマズいだろ」
ヨーホーレイクだ、ヨーホーレイクが躱す。そんな実況アナウンサーの声が聞こえて、背筋がヒヤッとした。
「おい!」思わず立ち上がった。学生時代から使っている24インチのテレビににじり寄る。「おい!ちょっと!」
完全にヨーホーレイクに先頭を譲ったステラヴェローチェを亮平は信じられない思いで見つめた。もうダメだ、脚色がハッキリと違う。
ヨーホーレイクがゴール版を駆け抜け、その後にステラヴェローチェが続いた。
「ちょっと、、」全身の力がしなしなと抜ける気がした。「それは、マズいだろ」
さっきから全て独り言なのに、構わず亮平は続けた。語彙も極端に少ない。でも、心境を表す言葉はそれ以上に出てこなかった。
すぐに点灯する掲示板。あれほど確信したステラヴェローチェの4の数字は2着に名前を連ねていた。
亮平の単勝は見事に外れたということである。ワンルームのフローリングに腰を落とした。
半開きの口から吐息が漏れた。深く長いため息。稀勢の里に負けた白鵬の気持ちが今ならわかる気がした。これが負けか、そんな気持ちだ。
しばらくそのまま項垂れた後、あらためて自分のスマホの投票画面を見た。8,500円はしっかりと0円へと変わり、JRAへと収められていた。
なぜあの時、複勝にしなかったのか。つい5分ほど前のことなのに、自分のやったことが信じられなかった。俺の馬鹿野郎。右手の拳を握りこむ。
悔しい。強くそう思った。
亮平はすぐに、手元に買ってあったスポーツ新聞を手に取った。
負けたまま、引き下がれるわけにはいかない。
このまま引いてなるものか。俺には競馬の才能があるのだから。
なんと、競馬には12レースまでしかないのか。知らなんだ。
そんなことに気を取られる亮平自身も気付かないままに、日本に競馬ファンがまた一人、生まれていた。